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文豪 夏目漱石を偲んで  ー 漱石忌


漱石忌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

あまりにも有名なこの一文で始まるのは明治39年に夏目漱石が発表した『草枕』です。明治の文豪として生き、多くの作品を残し、たくさんの文人・著名人たちに影響を与えた夏目漱石。彼は大正5129日、49才の若さでこの世を去りました。

今回は「漱石忌」にちなみ、夏目漱石について改めてご紹介しようと思うのですが、著名な作品があまりにも多く、どれをとりあげるのかとても迷います。そこで、まずは彼の生涯について簡単にまとめてみました。

夏目漱石(本名夏目金之助)は慶応3年2月9日に江戸牛込馬場下横町(現 東京都新宿区馬場下町)で、父・夏目小兵衛直克、母・千枝の五男三女の末子として生まれますが、里子や養子にだされるなど、複雑な幼少期を過ごしました。12才で入学した中学を、実母の死去後、14才で中退。その後、別の中学へ入学し漢文を学びましたが、ふたたび中退。東京帝国大学(現東京大学)を目指して英文を学び、17才で無事に大学予備門予科(後の第一高等中学校)に入学。そこで出会った正岡子規から多大な文学的、人間的影響を受けました。子規との親交は明治35年 子規が亡くなるまで続きました。

23才で東京帝国大学文化大学英文科に入学。ここから漱石の英文学者としての人生が始まります。大学卒業後、高等師範学校の英語教師として働くも、まもなく辞職。静養もかねて愛媛県松山へ中学校教諭として赴任。ここでの体験がもととなり、名作『坊っちゃん』が誕生したと言われています。
文部省に命じられた英国留学を終えたあと、英文科講師を務めながら執筆に精をだし、正岡子規を通して知り合った高浜虚子のすすめで『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。次第に人気作家として名を馳せるようになった漱石は、翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。さらに明治41年からは1年ごとに『三四郎』『それから』『門』(前期三部作)を発表します。胃潰瘍を患い、入退院を繰り返しながらも『彼岸過迄』『行人』『こころ』(後期三部作)を書きあげます。漱石最後の作品『明暗』の執筆中に胃潰瘍の悪化により逝去、『明暗』は未完となりました。

夏目漱石といえば、昭和59年から平成19年までのおよそ23年間、千円札に肖像が描かれていたので、多くの人がその顔と名前を知っていることでしょう。そして、「本は読んだことないけど、冒頭は知っている」という人も少なくないのではないでしょうか。

例えば…「吾輩は猫である。名前はまだ無い」こちらは夏目漱石のデビュー作『吾輩は猫である』の冒頭です。この一文だけでもこの小説の主人公である“猫“の性格が伝わってくる気がするのは私だけではないはずです。ほかにも…「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」こちらは『坊ちゃん』の冒頭ですが、短いなかでも坊ちゃんの負けん気の強さと一本気な性格が伝わってきます。

 

夏目漱石が書く物語はなぜこんなにも多くの人を惹きつけるのでしょうか。私が考え、思い至ったのは彼の言語力の素晴らしさ、です。話の内容、奥深さもさることながら、選ぶ言葉が端的で秀逸。何を伝えたいのか、どんな風に捉えてほしいのか、読者がピンポイントで掴めるような言葉が選ばれています。それによって読者は、登場人物たちの造形をすぐに掴むことができ、物語に惹きこまれていきます。そして惹きこまれた先で、その一文を書くために必要だった膨大な知識と卓越した彼の言語力を知ることになるのです。

『吾輩は猫である』のなかで苦沙弥(くしゃみ)先生(猫の主人で教師。漱石自身がモデルとも)が友人である迷亭のことをこんな風に紹介しています。「心配、遠慮、気兼、苦労、を生まれる時どこかへ振り落とした男である」ひどい言葉を並べてはいるが、どことなく憎めないと思っていそう、そんなことまで感じさせてくれるのです。『吾輩は猫である』は本としては分厚いですが、なかのお話は軽やかで読みやすいので、少しずつ読みすすめるにはおすすめの1冊です。苦沙弥先生と迷亭、寒月くんとの“首懸の松“から始まる不思議な話合戦、寒月くんの結婚事件、猫の餅踊りなど、エピソードとしても面白く読みすすめていくと不意にこんな一文があり、思わずドキリ。

「吾輩は大人しく三人の話しを順番に聞いていたが可笑しくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰す為めに強いて口を運動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりする外に能もない者だと思った」

人間世界を達観し、その滑稽さを笑う猫。読みはじめると、道を歩く猫たちの視線が急に気になったりして…。

漱石の書く物語の数々は、現代に生きる私たちとは時代背景は違います。けれど、その違いを超えてなお、何とも言い表せない気持ちを代弁してくれたり、「そういう心持ちを持てばいいんだ」と導いてくれたり、私たちを救ってくれたりします。そんなふうに、私たちに寄り添ってくれる作品を生みだした漱石が、そのうちにどんな想いを抱えていたのか、どれほど豊かな知識を持っていたのか、私たちは彼の書き残した書物を通してしか知ることはできません。だからこそ、きっと今日も本を開いてしまうのでしょうね。

 

最後に夏目漱石の言葉を一つ。

「どうぞ偉くなって下さい。しかし、むやみにあせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んでいくのが大事です」

門下生だったころの芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙のなかの一文です。弟子たちへの温かい励ましは、今も色褪せず、この一文に出会う人を励ましてくれることでしょう。

 

 

(担当:A)

 

 

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