童話館出版 書籍紹介 いま、この本を

【いま、この本を】三木 卓先生インタビュー


 

童話館出版で出版している絵本には海外の作品が多く含まれています。海外の作品を出版するにあたって大切なことのひとつは、翻訳をだれにお願いするか、です。
今回は、童話館出版の多くの絵本の翻訳をしてくださっている三木卓先生の、インタビュー記事をご紹介します。この記事は、2015年10月の「童話館ぶっくくらぶ通信」を編集し、再掲したものです。


「童話館ぶっくくらぶ」の会員さんからの人気が高い、『こぶたくん』シリーズ。
「なにげない日常」のなかにある、”しあわせ”をみごとに描いた作品です。
シリーズの翻訳をてがけた、三木卓さんに、『こぶたくん』シリーズや、ご自身の著書『ばけたらふうせん』についてお話ししていただきました。

ー『こぶたくん』シリーズは、「童話館ぶっくくらぶ」でも、子どもたちにはもちろん、親の皆さんにもにんきの絵本です。翻訳者である三木さんのこの絵本に寄せる想いをお聞かせください。

ぼくは、当時の社長さんの川端強さんにすすめられて読んだのですが、とてもおもしろくて愉快でした。それで、すぐに訳しました。

ぼくはぶたが好きですが、こぶたの“オリバーくん(こぶたくん)”は、まさにしりたがりやですね。お父さんは、いろいろな質問ぜめにあって、「どうしてそんなに、いろいろききたがるんだい?」と聞き返します。でも、お父さんも、もと子どもですから、もうわかっていて、「きみは、いつか きっと、いろいろなことを しるようになる」と言ってくれます。本当に子どもはしりたがりや。なんでも自分でしたい。(『ききたいこと』)

妹のアマンダは、まだちっちゃいので、そういうお兄ちゃんについていけないところがありますが、かわいい。お兄ちゃんのくれたものなら、ひとつぶの豆でも、ひとすじのスパゲティでも、喜んで食べたり。(『いもうと』)

ぼくがいちばん共感するのは、お母さん。ふたりの幼い子をかかえて本当にたいへん。やっと洗った洗濯物を泥だらけにされてしまったり、お掃除のお手伝いもめちゃくちゃ。子どものめんどうでへとへとになったお母さんは、りんごの木に上がって、ぼおっとしてしまう(『ひとりでいたいの』)。

本当に“お母さん”はえらい仕事です。子どもたちを元気ではねまわらせながら育てていくって、やっぱりそんなにできるものではありません。

どちらの本も、こぶたくんがベッドでおねんねするお話で終わりますが、お父さんのユーモア、お母さんの安心感、どちらも子どもの心をしっかりとらえています。

著者のジーン・バン・ルーワンさんにも、ご主人のほかにふたりの子どもがいました。二冊とも、デイビッドくんに「わたしの かわいい こぶたくん」と捧げられています。きっと長男がデイビッドくんで、エリザベスちゃんは妹さんかな?
ルーワンさんの当時の家庭の温かさが漂っている作品。アーノルド・ローベルさんのイラストがなんともいえなくいい感じ。

次に、三木先生がテキストを書かれた『ばけたらふうせん』について伺いました。

ー『ばけたらふうせん』は、三木さん自身がテキストを書かれていますね。長新太さんの絵がぴったり合っていてとっても楽しい作品で、編集部でも「肩の力が抜ける」と、にんきの一冊です。

この作品は、なかなか書けなくて、苦労した思い出があります。幼い子のための本って、とてもむずかしい。やさしくて、単純で、深い言葉を探さなくてはならない。でも、いったん、はいりこんでしまえば、今度はとても楽しくなる。ぐいぐい世界を広げていくのはいい気持ちです。

ぼくは、子どものころから病気ばかりしていたので、病院にいつもお世話になってきました。病院は子どもにとって、こわいところですが、変わったへんなところでもある。看護師さんがやさしかったりする。ぼくにとっては親しいところだから、そこで、変わった患者さんに登場してもらおうと思いました。そうしたら、ヤキイモやネコと一緒にふうせんがでてきちゃった。

ふうせんの患者。ふうせんは子どもが好きだけれど、じきにしぼんでしまう、かわいそうな存在。子どもがしっかり持っていてくれたらまだいいけれど、手からはなれて、フラフラ飛んでいる姿はかわいそう。でも、ふうせんだって、ふうせんにとっては人生だ。ふうせんの身になって、ここはひとつお話を考えてみよう。

病院に行くと、今はすぐ検査です。ふうせんも、レントゲンをとられたり、検尿(といってもふうせんですから、ガス)されたり、看護師さんが、ふうせんにいっぱつ食わせて正気づかせるために、トンカチをもってきたり、わあ、たいへんだ。

長新太さんは、すごくおもしろい絵を、この本のために二度書いてくれました。この本は、二度めのほうですが、「のうはは、ありません」と脳波検査の技師の先生が言うと、院長先生が、「ひょっとすると 頭のない かいぶつかもしれん」と返事をするところで、頁を繰ると、わっ。長さん! 見開きで、どでかい頭のないかいぶつの姿を描いている! ぼくは、まず腰を抜かしました。それから長さん、すげえっ! と感嘆しました。

長新太さんと一緒に仕事ができたのは、これ一冊だけです。ありがたく、だいじに思っています。

ーこの作品のおもしろさのひとつは、こういったコミカルなやりとりにあります。登場人物はいたって大まじめで、これっぽっちも笑わせようなんてしてないのに、少し離れたところから見ていると笑える、ぬけたおもしろさ。よくよく考えると、愚かで、とんちんかんなことでも、大まじめにやっている、私たち人間のいとしさが描かれています。
最後に、メッセージをお願いします。

ぼくは、学歴も資産もない父母に育てられましたが、ふたりとも本が好きで、それで気が合ったような夫婦でした。父はよく本を買ってきてくれたので、幼いころから親しみました。そのころ読んだものには、宮沢賢治のようなものもありましたが、思い返すと種々雑多。しかし、子どものころの本や雑誌は、いつも心に生きています。もしかすると、人生を左右するようなことに出会ったとき、そういう読書体験がぼくにことを決めさせる一端を担っていたかもしれない。

お母さんもお父さんも、育っていく子どもの心にかかわってください。そのとき、一緒に絵本を見る、おはなしを読むというのは、いい橋になります。本は子どもを育てます。お母さんやお父さんも、子どもから学ぶこともあるはずです。一緒に楽しめるおもしろい絵本や物語りを、いつも子どもたちに与えてやってください。

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いかがでしたか。
三木先生の飾らない、そして優しいお人柄が感じられます。この優しさや登場人物に向けるあたたかな目が、翻訳の文章にもあらわれているからこそ、私たちは、こぶたくんたちと一緒に“しあわせ”を感じることができるのだと思います。

三木先生が翻訳された絵本やご自身で文章をかかれた本が「童話館ぶっくくらぶ」の配本コースにはたくさん含まれています。ぜひ手に取ってみてください。

 

 

【三木先生の経歴】

詩人、作家、翻訳家。1935年、東京生まれ。新聞記者だった父に連れられ、2才から11才まで満州で過ごす。小さいころは体が弱く、腸チフス、小児マヒ、敗血症、ジフテリアなどを次々発症し、生死をさまよったことも。終戦を迎えたのち、引き揚げ途中に父と祖母を相次いで失う。帰国後は父母の故郷静岡で育った。1959年早稲田大学露文科卒業後、出版社に勤めながら作家に。1967年詩集『東京午前三時』で第17回H氏賞を、1973年小説『鶸』で第69回芥川賞を、1984年『ぽたぽた』で野間児童文芸賞を受賞するなど受賞多数。小説、詩、エッセー、評論、翻訳、児童書など多方面にわたり作品を発表している。
自伝的著『私の方丈記』『柴笛と地図』『K』など。

 

【三木先生へ、ひとことインタビュー】

*好きな食べ物はなんですか?
 戦後の飢餓時代が少年期だったのできらいなものはありません。
 日本のラーメン(旭川、横浜、九州)。卵焼き。ハンバーグ。アイスクリーム。
 まるで子どもですね(笑)。イチゴのことを思うとニッコリ。

*好きなことや趣味は?
 昆虫がいきいき生きているのを見るのが好き。
 ツマベニチョウやオオゴマダラなどが飛んでいるのを見たくて、幾度か沖縄に行きました。
 すばらしい自然でした!

*行ってみたいところはありますか?
 少年時代に読んで感激した、くまのプーさんのいる、プー横町です。

*音楽は好きですか?
 たいていの音楽は好きです。親しみを持っているのは、少年時代からタンゴとクラシック音楽。
 クラシックではワルツも好き。ピアノ曲も好きで、ラベルなんか。

*日々の生活のなかで大切にしていることはありますか?
 80才をこえてビックリしています。ここまで生きたので、もう1日1日を大切にして楽しんで
 生きたいと思います。天の恵みだと思います。

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